30年間を振り返って 

高知県技術士会代表幹事 右城 猛

1.設立当時の想い出

 

 高知県技術士会が設立されたのは、昭和61年10月です。佐川町に事務所を出して地域計画の仕事をされていた金山隆一氏(京都在住)が、「各県で技術士会が誕生している。高知県でも立ち上げてはどうか」と話を持ちかけたのが発端でした。

 

 私はこの年の4月にUターンして第一測量設計コンサルタント(現・第一コンサルタンツ)に入社したばかりで、技術士で知っていたのは村山保先生と中村和弘氏だけでした。お二人に相談して県内の技術士に高知県技術士会設立の話をしていただきました。

 

 設立総会は10月27日(月)に、高須の電車通りに面した談話室「青山」で開催しました。会員は村山保氏、山本克彦氏、川村喜一郎氏、池田正氏、片岡明氏、金山隆一氏、瀬戸正美氏、竹村和夫氏、中村和弘氏、原義朗氏、深谷新氏、山本巌氏、橋口孝好氏と私の14名でした。会員の半分以上は、公務員や大手企業を定年退職した後、技術士の資格を活かして民間企業で活躍されている方々でした。橋口氏と私は36歳で最年少でした。

 

 設立総会の選挙で村山先生が会長に選出されました。私は書記という立場で事務局を担当することになりました。私の事務局の仕事は、明坂宣行氏と交代する平成6年まで続きました。

設立の年から平成5年までは年3回定期総会を開催していました。定期総会といっても懇親会が主体で、事業報告や会計報告などは年1回だけでした。懇親会は、参加者の近況報告から始まるのが恒例でした。これはずっと続けたかったのですが、参加者が増え、スピーチの一人の持ち時間を減らしても時間が足らなくなったことから、いつ頃からかやめてしまいました。

 

 近況報告の後は会員同士で酒を酌み交わしながら、情報の交換と親睦を深めていました。設立当初は参加者が少なかったので、一人ひとりとじっくり話すことができました。現場の経験に裏付けされた先輩の話はとても参考になりました。

 

 

2.会報の発刊

 

 平成元年には、「高知県技術士会会報Vol.1」を発刊しました。中・四国では高知が最初でした。平成5年に愛媛県と徳島県、平成9年には香川県が発刊しています。

 表紙には、THE BULLETIN OF SOCIETY OF CONSULTING ENGINEERSと書いてあります。村山先生が英訳してくれたものです。会報の編集は、Vol.5までを私が担当し、以降は明坂氏が担当しました。

 

 高知県技術士会には村山先生を筆頭に、筆まめな会員が揃っていました。VOL.3の編集後記に私は「今年の夏は、昨年に次ぐ猛暑でしたが、投稿締切りの8月31日までに原稿のほとんどが集まりました。毎年のことながら、原稿の集まる早さに感心させられます。今回も、早く投稿された方に敬意を表し、原稿到着順に掲載させていただきました。創刊の折、何年続くだろうかと心配したものでしたが、年々ページ数が増え、内容も充実したものになっています」と書いています。

 

 他県では、会報を出そうにも原稿がなかなか集まらないので苦労するという話を聞くのですが、高知県技術士会では早さを競って投稿されていたようにさえ感じました。

 平成21年まで続いた会報は、Vo1.21を最後に廃刊しました。平成22年に日本技術士会四国支部が設立され会報「PEしこく」の発刊が決まったことと、経済不況がその理由です。

 

 平成10年から公共事業予算の大幅削減が始められ、平成20年の公共事業費はピーク時の1/3にまで落ち込み、県内を代表する建設会社が次々と倒産しました。会報の出版費用は、企業からの協賛金で賄っていました。これ以上、県内企業に無理をお願いできないという判断でした。

 

 

3.二人の大先輩

 

 高知県技術士会には立派な先輩がたくさんいます。紙面の都合上、ここではお二人のみ紹介させていただきます。

 

■初代会長・村山保先生のこと

 村山保先生に直接お会いしたのは、第一コンサルタンツに入社した昭和61年4月でした。先生はサン土木コンサルタントの会長の傍ら、高知県建設高等職業訓練校の校長や高知県橋梁会会長をされていました。私は、先生の下で書記や理事などの役を仰せつかり、お手伝いをさせていただく中で、いろいろなことを学ぶことができました。

 

「当たって砕けろ」「心配りは小さく志は大きく持て」「常に準備を怠るな」「すぐ実行せよ」などです。「立派な技術者である前に立派な人間でなければならない」が村山先生の信条でした。

 

 私は高知県技術士会に、2度も盛大な祝賀会を開催していただいています。昭和61年に処女作「中小橋梁の計画」を出版したときと、平成9年に「工学博士」の学位を授与したときです。発起人代表はいずれも村山先生で、漢語調の格調高い挨拶をしていただきました。あのときの感動は未だに忘れることができません。

 

 村山先生にはお世話になるばかりでした。いつかは恩返しをさせてもらわなければならないとずっと考えていました。

 先生が88歳になられたとき、私が発起人代表となって「村山保先生の米寿を祝う会」を盛大に開催させていただきました。先生が90歳になられたときには、定期総会の後で「村山先生の卆寿を祝う会」を開催させていただきました。

 高知県技術士会は、他県に比べて会員数では劣りますが、会員の資質は勿論のこと、会の内容はどこにも引けをとらないと思います。素晴らしい会に成長した最大の力は、会長であった村山先生の高潔で品格に優れたお人柄にあったことは疑う余地がありません。

 

 

村山保先生の米寿を祝う会 平成19年2月3日高知会館にて

 

■故・瀬戸正美さんのこと

 

 瀬戸さんは、定期総会には必ず出席し、趣味の面打ちの話や土木技術者の心構えなど示唆に富む話をいつも聞かしてくれました。「土木工学は足の裏の工学だ」、「現場は自分の足で歩いて、地球の凹凸を足の裏で感じることで、本当にわかる」といった経験に裏打ちされた言葉には、説得力がありました。

 

 瀬戸さんは、平成8年から平成12年までの間、27回にわたり高知新聞の「新聞を読んで」のコラム欄に、「県技術士会 瀬戸正美」という名前で執筆されていました。世の中の出来事を土木技術者の視点から分析して書かれた鋭い論評は、多くの読者の心を惹きつけました。

 

 その中に、定例総会で私が喋ったことを取り上げてくれたものがあります。「人体この不思議なもの」(1998年5月31日)と題する記事です。「短大卒で工学博士」と報じた新聞記事を、私の中学時代の友人が、くも膜下出血で意識不明の状態が続いていた私の母の耳元で読んで聞かせたところ、それまで全く反応のなかった母が泣き出した、という話です。

 

 高知県技術士会会報、高知新聞、高知県正昭会会誌等に投稿された瀬戸さんの論文は、ご遺族によって、瀬戸さんが生前に好んだ言葉「念ずれば花ひらく」を表紙に刷り込んだA5版341頁の立派な本として出版されています。

 

 

4.高知県技術士会と日本技術士会四国本部

 

 日本技術士会四国支部設立の話は以前からありました。具体的に動き出したのは平成15年1月です。四県技術士会が設立され、各県の持ち回りで年2回の会合が続けられました。会議の後は必ず懇親会があり、お互いが親睦を深めました。

 

 四県技術士会で顔を合わせるようになって信頼関係ができ、絆が深まり、四国支部設立に結びついたと言えます。

 

 平成22年6月3日に社団法人日本技術士会四国支部設立記念式典・祝賀会が、アルファあなぶきホール(香川県県民ホール)で盛大に開催されました。

 翌年の平成23年4月、公益社団法人日本技術士会四国本部に名称が変更されました。

 

 高知県技術士会は、日本技術士会四国本部設立以降、その下部組織としての役割を果たすだけになっています。高知県技術士会として独自の活動は何もできておらず、年一回の形式的な総会のみになっています。

 

これは全国的な傾向のようです。もはや県技術士会の役割は終わり、日本技術士会に一元化すべきという意見が全国各地から出始めています。

 

 中国本部では平成25年に岡山県が県技術士会を解散し、県支部を誕生させました。今年は山口県と鳥取県で県支部が誕生しました。

 

 高知県の場合、現時点の正会員数は126名(技術士補も含めると133名)です。このうち、日本技術士会四国本部会員は42%に当たる53名います。以前は、日本技術士会に入会するメリットがないという意見が多かったように思いますが、入会者が徐々に増えています。

 

 30年間を振り返って見ますと、技術士の活動範囲は大きく変わりました。高知県内から四国へ、そして中国・西日本へ、最近では全国、さらには韓国へと拡大しています。各地で開催される日本技術士会の会合やイベントに参加することで、会員相互の交流を深め最新の情報を入手できます。仲間に啓発されモチベーションを高めることもできます。若い会員は積極的に参加されることをお勧めします。

 

 30年の歳月が過ぎ、世の中は大きく変わりました。高知県技術士会についても方向転換の時期が来ているように思います。

 

5.若い技術士に期待すること

 

 建設部門に限定すれば、近年における技術士の地位の向上には目を見張るものがあります。国や県が発注する土木設計委託業務の管理技術者や照査技術者には、技術士の資格が求められるようになりました。技術士が国家資格であることさえも知られていなかったことを思えば、隔世の感がします。

 

 しかしながら、技術士の社会的認知度は未だ不十分です。認知度を高めるには、マスコミへの露出度を増やすのが効果的だと思います。

 

 最近は、熊本地震による家屋倒壊や斜面崩壊、豊洲市場の土壌汚染対策、博多駅前の道路陥没事故など建設部門に関係する話題がマスコミを賑わしています。このような話題に対してマスコミ関係者や学識経験者を相手に堂々と論陣を張れる技術士が出現することを期待しています。

 

 そのためには、日常業務を要領よく処理するだけのマニュアル技術者から脱皮しなければなりません。より高度な専門的知識を身につける必要があります。日頃から切磋琢磨しなくてはなりません。大きな事故が発生すれば、それが業務とは関係なくても自ら現場へ赴いて、実際に見聞し、理論に照らして考え、それを論文にまとめることを習慣にして下さい。

 

 書いた論文は会報「PEしこく」に投稿して下さい。西日本技術士研究・業績発表年次大会や日韓技術士国際会議などに発表し、技術士仲間と議論するように心がけて下さい。

 

 テレビの報道番組に技術士がコメンテーターとして登場する時代がくることを夢見ています。

想い出の写真

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